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【アラベスク】  第12章 マジカル王子様



第2節 権力の天秤 [19]




 智論はテーブルに頬杖をつく。
「でも、無くなってなくってよかった」
 店内へ視線を向ける智論の表情には、演技をしているという雰囲気はない。本当に安堵していると思われるその表情に、美鶴は胸が苦しくなるのを感じた。
 この人って、よく見ると可愛い。
 だがなぜか、それを認めたくないという思いが湧きあがる。
 醜いとは思いながらも少し俯き加減でボソリと呟く。
「唐渓に通う生徒が、わざわざ電車に乗ってケーキを食べに来るなんて、意外です」
 美鶴の言葉に智論は少し驚いたように目を見開いた。掌に乗せていた顎を中途半端に浮かせ、パチクリと瞬く。だがそれは一瞬の事。すぐにもとの柔らかな表情に戻り、グラスの水を一口飲む。
「そうね。意外に思う人もいるかもしれないわね。車で送り迎えをしてもらっている子も結構いたし。たぶん今もいるのでしょうね」
「いますよ」
 そのような輩を思い浮かべ、美鶴は少しだけ侮蔑を含ませて答える。
「校門に車を横付けしてて、邪魔です」
 邪魔です、の言葉に、智論は笑った。
「私もそう思うわ」
 言って、もう一口水を飲む。
「だから禁止にすればいいのにって、おじいちゃんに言ったことがあるの。でも聞いてもらえなかった」
 そこでトンッとグラスを置いた。
「私のような、理事長を祖父に持つような存在、あなたには目障りでしょうね」
 まるで心内を読まれたかのようで、美鶴は智論の目が見れない。
 黙って俯いたままの相手に、智論は少し視線を細めた。そうして小さく息を吸い、ゆっくりと、慎重に口を開く。
「でも、慎二の事は諦められないのね」
 ビクリと、美鶴の肩が震える。諦めきれない。その言葉に反発したい衝動をなんとか胸の内に押し留める。
 諦められない。
 否定したくても、それは無様な悪あがきのように思える。
 結局自分は霞流さんを諦められないのだ。
 滋賀から戻り、再び学校生活が始まってから約一ヶ月。その間、美鶴は暇があれば考え続けた。自分はどうしたいのかと。
 思い浮かぶのは薄色の髪。切れた細い目と白く品の良い指先。自分の髪の毛から立ち昇るのは、銀梅花。
「霞流さんの事を知れば、私がもっと傷つくって智論さんは言いましたけど」
 美鶴も言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開く。だがそれは、相手を気遣ってなどという行動ではない。相手の為と言うより自分の為。自分の頭の中を整理する為。
「それがどうしても納得できません」
「そうね」
 あっさりと肯定する智論。
「理由も聞かされずに勝手にこうだと決め付けられるのは、納得できないわよね」
 グラスから手を離し、少し濡れてしまったテーブルの上を指でなぞる。
「でも、やっぱりあなたは辛い思いをすると思う」
 そこで店員が現れる。紅茶二つにチーズケーキとガトーショコラ。智論に指示されるままにテーブルへ配置し、一礼して去っていく。
 目の前に並べられたチーズの黄色とショコラの茶色。紅茶の(あか)がうっすら波打つ光景をしばらく無言で見つめ、智論は小さく息を吐いた。
「あなたのように、慎二へ想いを寄せてきた人は他にもたくさんいる」
 美鶴は一瞬、何を言われたのかわからなかった。あまりに突然の言葉で意味が理解できずに瞬き、だが呼吸が少し乱れる。
 霞流さんを好きになった人は、自分以外にもいる。
 当然だ。あれだけ見栄えが良かったら、女の人が放っておかない。
 聞かされて、頭で納得はできる。だが美鶴は、その事実に胸が締め付けられる思いがした。
 そんな美鶴の反応などは予想の範疇。智論はできるだけ相手の挙動に気付かぬフリを装いながら言葉を続ける。
「でもね、みんな泣かされてばかり」
「え?」
「慎二を振り向かせようと、慎二の女性に対する偏見を取り除こうと試みて、でもみんな反対に打ちのめされる」
 ある者は優しく、ある者は厳しく慎二に接しては、彼の気持ちを振り向かせようとあの手この手を講じてみる。だが最後は慎二の返り討ちにあう。

「馬鹿だな。そんな姑息な手で俺をどうしようとする? そうやって優しく囁いていればいずれ俺が振り向くとでも思っているのか。能無しめ。だから女は嫌いだ」

 徹底的に自尊心を傷つけ、恋心を弄び、持ち上げておいては奈落に突き落としてもみせる。
 嗤われ、虚仮(こけ)にされ、ある者は泣きながら、ある者は怒り狂いながら、結局は慎二の元を離れていく。
 そういう女性を、智論は何人も見てきている。
「慎二が考えるように、彼の素性や見栄えにのみ魅力を感じて近づいてきた人もいたと思う。でもそんな人だけじゃなかった。本当に慎二を想っていた人もいたと思うの。そういう人が傷つくのを見ているのは、正直嫌だった」
 フォークを手に、ショコラを口に放り込む。まるで、そんな状況を見ている事しかできなかった自分に苛立っているかのようだ。
 美鶴も一口、チーズケーキを食べる。
 口の中でチーズと一緒に言葉も噛み砕き、選び、飲み込み、その後もしばし思案してからようやく口を開いた。
「でも霞流さんは、昔は普通の優しい人だったんですよね?」
 なぜだか酸っぱさの混ざる不思議な感情に包まれる。
「霞流さんがそうなってしまったのは、やっぱり、その、桐井(きりい)って人が原因なんでしょうか?」
 美鶴はこの一ヶ月、美鶴なりに考えた。
 霞流慎二は、高校生の頃はとても優しい学生だった。そう智論に聞かされた。
 普通に彼女を持ち、普通に学生生活を送っていた。







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